椎の木屋敷跡
於大の方は竹千代,つまり徳川家康の生母です。緒川城(現・愛知県知多郡東浦町緒川)で生まれました。松平広忠に嫁いで岡崎城で竹千代を生みます。その後於大の実家が今川氏と絶縁して織田氏についたため,今川氏との関係を慮った広忠に於大は離縁されます。
離縁されたあと,実家・水野氏の三河国刈谷城(現刈谷市)に返され,椎の木屋敷で暮らしたとされています。
その,椎の木屋敷跡に行ってきました。刈谷市亀城公園から歩いて5分程度のところにありました。
於大の銅像
「江戸時代には一般の人の出入りが禁止されており,人夫がときどき清掃を行うとともに、出入り口には鍵がかかっていました」
上のような案内があり,於大の方のわびしい暮らしが想像されます。仮にも「大御所様」の母上なのに,その冷遇ぶりは現代感覚からは理解できません。まさに女は「産む道具」でしかなかったのです。
大名などの子どもは通常母親が育てることはありません。生まれるとすぐに乳母に託されます。乳立ちを早くして次の子を生むのに備えるためだと聞いたことがあります。まさに産む機械,”母”になることはありませんでした。
家康もおそらく於大の方を母親と感じることなく育ったと思われます。於大の方のほうの気持ちはどうだったか分かりません。しかし,そんな気持ちとは関係なく,於大の方は阿久比の久松氏に再嫁されます。
この銅像は岡崎城の方を向いているそうです。政略結婚の末に捨てられた恨みからか,我が子・家康を思ってかは分からないということです。
「ひめ」「との」では?
屋敷跡の一画にトイレがあり,その男女マークがお武家様でした。しかしその下の言葉がLadies と Gentlemen なのは平仄が合いません。「ひめ」と「との」に変えてもらいたい。
そのあと東浦に行き,晩年於大が通ったという善導寺と於大公園を訪れましたが,ここは史跡としてはいまいちでした。
走り納め後,洗車
12月にしては暖かい日でした。帰宅後,洗車をして今年の走り納めとしました。
ぼる・ドール
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