9/19(土)木曽三川右岸遡上

 爽やかな空気に誘われて気ままなツーリングに出かけました。蒸し暑かった昨日とは違いカラッとした空気の秋晴れになりました。今季初めてかもしれません,秋を感じたのは。

 向かったのは木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)です。ほとんど計画なしのいきあたりばったりのツーリングでした。木曽三川に決めたのも国道23号下りに入ってからです。とりあえず桑名に行って堤防道路を北上しよう,と心が決まりました。

 

 ただ誤算だったのは,23号線が思いの外混んでいたことでした。名古屋市内に入った途端に渋滞,木曽川の手前まで断続的なノロノロ進行でした。このあたりは産業道路なので休日はあまり混まないと思っていたのですが,今日は誤算でした。

 

長良川河口堰

 

 長良川河口堰の少し下流でふたつの川がつながっているのが分かります。この先でふたつの川は完全にひとつになって伊勢湾に流れ込んでいきます。すぐ東(写真では奥)に下る木曽川と合わせて通称木曽三川です。この3本の大河はいまでこそ悠々と流れていますが,かつてこの三川は暴れ大河で,多くの悲劇を生んできたそうです。

 

木曽三川タワー

  桑名市で揖斐川堤防道路に入ります。堤防道路に入ってからは渋滞も信号もない快適クルージングができました。10分あまり右岸を北上したところで一休みです。対岸に木曽三川公園タワーを望みます。

 

東海大橋

 公園タワーのところで長良川右岸に移動しさらに北上します。写真の赤い橋は東海大橋,長良川と木曽川をひとまたぎしている大きな橋です。

 

道の駅「クレール平田」

 

 最後は木曽川。道の駅「クレール平田」に立ち寄ったあと,南濃大橋で長良川を渡って木曽川右岸に進入しました。このあたり堤防道路にまっすぐつながっていないので迷いながらのライディングでした。

 

ツインアーチ138

 木曽三川のシンボルタワーがきれいに撮れました。何回かここを訪れていますが,止まる位置や日差しの関係でうまく画面に収まったことがありませんでした。今日は靑空と白い雲も素晴らしい演出でした。

 ツインアーチ138は,一宮市にちなんで138(いち・み・や)mにつくられています。 2本の双曲線アーチとと中央のエレベーターシャフトが「木曽三川の雄大な流れ」を象徴と公式案内にはありました。わたしは一宮市にはまったく関係ありませんが,美しいタワーだと思います。

 

犬山城遠景

 国宝犬山城が遠くから望めるのは川を挟んだこちら側しかありません。川面を隔てて見る犬山城もなかなかいいものです。

 

尾張パークウェイ

ーー歴史トリビアーー

 

 木曽三川の治水工事に携わったのが江戸幕府に命じられた薩摩藩でした。幕府の大藩潰しです。薩摩藩は多大な犠牲を払って工事を完成させました。今も残る治水神社には薩摩藩士が祀られ島津家の家紋丸十が正殿前に掲げられています。

 幕府にいじめられた薩摩藩は同じく大減封された長州藩毛利家と共謀して倒幕に傾いていき,ついに明治維新革命を実現しました。関ケ原の敗軍(西軍)が徳川軍(東軍)の仇討ちを果たしたということになるでしょう。

 さて,安倍晋三さんは山口県(長州藩)ですね。つまり今に至っても薩摩・長州の官軍が政権を牛耳っているという図式から離れられないでいるのです。

 そうなると敗軍になってしまった徳川軍,佐幕を貫いた会津藩が気になってきます。どこかで政権奪回を目論んで隠棲しているかもしれません。

 江戸時代に長州藩毛利家では,新年の登城挨拶で藩主とこんなやり取りがされていたと噂されています。

 家臣:「今年は倒幕の機は如何に?」

 藩主:「まだ,はやい」

 

2020年 会津藩の正月

 福島県民「今年の薩長政権打倒の気はいかに?」

 県知事「まだ,はやい」