1/25(月)怨念の史地,野間のたたりか

 

野間大坊

 

 知多半島の野間にある野間大坊には源義朝の墓があります。義朝はこの地で家来の裏切りによって入浴中に殺害されました。このお寺は頼朝が父親の菩提を弔うために建立された寺です。

 境内にある墓所には前日に殺害された腹心の家来鎌田政家が,あの世にあっても付き従うかのごとく同じ敷地に埋葬されています。そして,なぜか織田信長の三男,信孝も同じ敷地に埋葬されています。

 

安養院

 織田信孝豊臣秀吉に跡目争いで敗れ,ここ大御堂寺(野間大坊)に幽閉され,信雄(信孝の兄)の命令によって自害させられました。自害した場所は野間大坊のとなりの安養院です。このお寺には血染めの掛け軸があると聞き,行ってみました。

 掛け軸の閲覧を乞うたのですが,断られました(掛け軸の写真はネットで拾いました)。

「無念の自害だったようです。その気持ちを思うと晒し者にはできない,というのが先代の言葉です」

 そう言われました。それでもご住職は「写真ならあるのでお見せしましょう」と言われ,奥から出していただきました。

「ここと,ここらあたりです」と言われるところを見ると,黒に近くなった茶色の点々と刷毛で拭ったような跡がありました。

「軸の前にあるのが,その時の短刀です」

 刀まであるとは聞いていませんでした。実際に使われたものだと思うと,その生々しさが伝わってくるようでした。

 

磔の松

 源義朝と織田信孝は直接には関係ありません。時代も350年以上の開きがあります。共通しているのはどちらも無念の死を遂げたということでしょうか。

 その,源義朝を殺害した長田忠致とその子・景致を磔にしたという松が近くにありました。天下を統一した頼朝が上洛の途中に野間に立ち寄って磔の刑に処したと伝えられています。

 殺された者も殺した者もいづれの怨念もこの地に渦巻いているようで,ちょっと不気味なスポットになっていました。

 

野間灯台

 野間灯台は1921(大正10)年3月に初点灯し,今年でちょうど100年になるそうです。美浜まちラボという地元の団体が「野間灯台登れる化プロジェクト」という企画を進めているようです。灯台が登れるのようなったら野間の魅力がうんと上がるでしょう。

 

これは”たたり”か

 一旦停止不履行でパトカーのおじさんに呼ばれてしまいました。反則金6,000円+減点2の罰則。いきなり訪れたこの災厄はたたりなのか。源義朝,鎌田政家,長田親子,そして織田信孝と幾人もの武将の怨念パワーが降り掛かってきたのかもしれません。なにか禊でもしたほうがいいのでしょうか。いや,これが禊ということも,・・・。

 まあ,しかたががありません。「塞翁が馬」としましょう。「禍福はあざなえる縄の如し」ってやつですね。

 せっかく前回,初めてゴールド免許になったのに・・・。こっちは「一炊の夢」ですか。

 

武豊マリンポート

 大好きな景色です。昨年末にも同じようなシチュエーションでアップしました。昨年は夕方の景色,今回は青空が映える景色です。