大高城を攻める鷲津砦跡と丸根砦跡,鳴海城を攻める中島砦跡と善照寺砦跡,丹下砦跡に行ってきました。おまけは,3日後に歩いて行った沓掛城。今川義元はここから大高城に向かい,途中の桶狭間で難に合いました。大高城,鳴海城,沓掛城はいずれも今川義元の拠点,5つの砦は織田信長の拠点です。
大高城跡
大高城は,桶狭間の戦いの前哨戦として,当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで名高いところです。家康はここで今川義元の討死を知り,岡崎城に逃れ九死に一生を得ました。歴史にもしはないと言いますが,ここで家康が討死していたら,・・・。
信長の砦1
信長は,大高城と鳴海城の間を遮断するために,丸根砦と鷲津砦を築きました。
丸根砦では,永禄3年5月19日(1560年6月12日),桶狭間の戦いの前哨戦が行われ,佐久間盛重を将とする織田軍が立てこもったが,松平元康(家康)率いる今川軍に敗れ全滅しました。
鳴海城跡
鳴海城は今川義元の家臣である岡部元信が城主を務めていた城で,今川氏の重要拠点になっていた城です。この城を攻略するために信長は,丹下砦,善照寺砦,中島砦を築いて囲みます。
信長の砦2
信長は桶狭間の戦いのときに,丹下砦→善照寺砦→中島砦と進撃し,中島砦から桶狭間に向かいました。
砦はいずれもこんもりとした丘の上にありましたが,中島砦だけは低い位置にありました。善照寺砦は児童公園になっていて,小学生がたくさん遊んでいました。
丹下砦は,現在の光明禅寺というお寺の寺域にあるようですが,現地でそれとわかるような史跡が見つけられませんでした。
沓掛城跡
沓掛城は,今川義元が桶狭間の戦い前夜に軍議を開いた場所です。ここから大高城に向かうために桶狭間に至り,難にあったと思われます。
ぼる・ドール
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