12月14日(火)信長の砦めぐり

 大高城を攻める鷲津砦跡丸根砦跡,鳴海城を攻める中島砦跡善照寺砦跡丹下砦跡に行ってきました。おまけは,3日後に歩いて行った沓掛城。今川義元はここから大高城に向かい,途中の桶狭間で難に合いました。大高城,鳴海城,沓掛城はいずれも今川義元の拠点,5つの砦は織田信長の拠点です。

 

大高城跡

 大高城は,桶狭間の戦いの前哨戦として,当時今川義元の配下であった松平元康(徳川家康)が「兵糧入れ」をおこなったことで名高いところです。家康はここで今川義元の討死を知り,岡崎城に逃れ九死に一生を得ました。歴史にもしはないと言いますが,ここで家康が討死していたら,・・・。

 

信長の砦1

 信長は,大高城鳴海城の間を遮断するために,丸根砦鷲津砦を築きました。

 丸根砦では,永禄3年5月19日(1560年6月12日),桶狭間の戦いの前哨戦が行われ,佐久間盛重を将とする織田軍が立てこもったが,松平元康(家康)率いる今川軍に敗れ全滅しました。

 

鳴海城跡

 鳴海城は今川義元の家臣である岡部元信が城主を務めていた城で,今川氏の重要拠点になっていた城です。この城を攻略するために信長は,丹下砦,善照寺砦,中島砦を築いて囲みます。

 

信長の砦2

 信長は桶狭間の戦いのときに,丹下砦→善照寺砦→中島砦と進撃し,中島砦から桶狭間に向かいました。

 砦はいずれもこんもりとした丘の上にありましたが,中島砦だけは低い位置にありました。善照寺砦は児童公園になっていて,小学生がたくさん遊んでいました。

 丹下砦は,現在の光明禅寺というお寺の寺域にあるようですが,現地でそれとわかるような史跡が見つけられませんでした。

 

沓掛城跡

 沓掛城は,今川義元が桶狭間の戦い前夜に軍議を開いた場所です。ここから大高城に向かうために桶狭間に至り,難にあったと思われます。