12/30(木)音吉&唐人お吉

 幕末の有名人「唐人お吉」と「音吉」が知多半島の内海と小野浦出身であることを知って,記念碑などを見に行きました。

これが今年の走り納めです。

 初めに行ったのは小野浦の音吉顕彰碑です。となりに聖書を翻訳した記念碑らしきものもありました(音吉・岩吉・久吉の3人の碑)。

 

音吉顕彰碑

 音吉は日本で最初に聖書を翻訳した人物として歴史に名を残しています。宝順丸という千石船に乗り江戸へ向かう途中嵐に遭い,太平洋を1年2か月も漂流した後アメリカ西海岸へ漂着するという運命が彼の後半生を一転させました。

 アメリカ漂着後にイギリスに渡り,その後マカオに移り聖書を翻訳,上海で事業を起こします。1854年の日英和親条約締結の際には通訳としてイギリス側で同行しました。

 おそらく日本人で初めて世界一周した人物じゃないかと思われます。

 土佐のジョン万次郎と似た境涯ですが,漂流して外国に流れ着いた日本人は当時ほかにも結構いたようです。

 

良参寺

 良参寺というお寺に音吉たちの墓があると案内があったので行ってみました。碑文から数百mはなれたところにありました。たくさんの墓石が並んでいました。それが遭難した宝順丸の乗組員の墓のようですが,墓石が古すぎてだれがだれだか特定できませんでした。

 

唐人お吉

 小野浦から南に2kmほどくだった,内海の海岸にお吉の碑がありました。海岸脇に太平洋を見はるかすように建てられていました。

 お吉は,伊豆国下田の芸妓です。幕府の命令で恋人,鶴松との仲を裂かれ,米国総領事ハリスらの世話をさせられたお吉は世間の冷たい偏見にさらされ,酒におぼれるという悲惨な生涯を送ります。

 お吉の眼差しはアメリカに向けられているのでしょうか。

 

内海海岸

 お吉は内海村の船大工の娘であり,音吉は小野浦村の船乗りです。お吉と音吉は互いに無関係ですが,幕末のエピソードを彩る2人が隣村同士の出身だったということがちょっとした驚きでした。

 風が強くて海は荒れていました。トンビは風に乗って気持ちよさそうでした。

 

師崎港

 お吉と音吉の目的は達成できたのですが,せっかくここまできたので半島先端を回って帰ることにしました。

 師崎港は知多半島の先端の漁港です。フェリーと高速船がほとんど同時に出航して行きました。

 

チッタナポリ

 高級リゾートマンションが立ち並ぶチッタナポリはいつ来ても閑散としています。人が少なくて閑静な雰囲気がいいのかもしれませんが・・・,果たしてここは天国なのでしょうか。

 このあと,河和,武豊,半田と北上し,知多半島を一周しました。

 これが今年の走り納めとなりました。