3/16.17.18 (車で)広島・しまなみ海道・瀬戸大橋・姫路城

 妻とふたり,車で行きました。全行程は以下のとおり。

16日(水)自宅→①厳島神社→広島市(泊)

17日(木)②平和記念公園→③しまなみ海道→④瀬戸大橋→⑤玉野市(泊)

18日(金)⑥姫路城→自宅

 このルートの福山市に大学時代の友人が住んでいます。寄って顔を見たかったのですが,走りづめでそんな余裕がありませんでした。残念でした。

 

厳島神社

 宿泊予定の広島市内のホテルに直行。早朝5時に出発して10時半に到着でした。走行距離は485.7km,途中,三木SAと福山SAの2か所で休憩しました。

 ホテルには桟橋があり,高速船で宮島に渡りました。

 

野生の鹿

 厳島神社の大鳥居は修復中で丸ごとシートで覆われていて残念でしたが,美しい社殿は不足なく見学できました。ただ,引き潮の時間だったので,海に浮かぶ社殿を目にすることはできませんでした。

 ここの鹿は奈良と違って野生だそうです。だから「鹿せんべい」はどこにもありませんでした。

 

宮島水族館

 意外に面白かったのが水族館です。

 動物園の動物って大概イメージできるのですが,水の生き物っていうのは形も動きもさまざまです。とんでもない奴がいたりして,見入ってしまいました。

 

広島市街

 ホテルから見た広島市の夕景です。晴天に恵まれ,暖かい日差しの中ゆっくりと宮島観光ができました。

 

平和記念公園

 まず,公園の広さが印象的でした。物理的にも広いのですが,それだけでなく心理的な効果が大きいと思いました。

 広い敷地に目立たない花園・樹木とメモリアルモニュメントがあるだけで,余分なものが何もない。それが心理的な効果を増幅しているようでした。

 原爆ドームは写真で何度も見ていますが,実物の周りをぐるっと回ってみると写真にはないものを目にすることができました。瓦礫のひとつひとつがそれぞれの物語を語っているような気がしてきました。

 

原爆資料館

「あそこに入ると,みんな黙ってしまう」

 以前,友人がそう言ったのを思い出しました。そのとおりでした。

 映像のひとつひとつ,文章のひとつひとつ,そのすべてが重い。誰もが言葉を失い,目の前の資料に見入ってしまいます。

「もう,いっぱい」

 妻はそう言って,後半は端折るように歩みを速めました。

 

しまなみ海道

「エーゲ海のようだよ」

 妻は友達からそう言われたといって期待を膨らませていました。わたしも初めてで今回の旅行のメインディッシュの一つでした。

 ところが見ると聞くとは大違い。しまなみ海道全線のうち8割近くが陸地(島)で左右は樹木と畑ばかりでした。上の写真ような景観は渡り切った今治からの景色,それだけでした。

 

瀬戸大橋

「瀬戸大橋はよかったね」

 これが妻の感想です。しまなみ海道でがっかりした分だけ余計に盛られているとは思いますが,わたしも大いに賛同しました。瀬戸大橋は間に与島がひとつあるだけで,全線がほとんどすべて”海道”です。景観の優劣は言うまでもありません。2対8で瀬戸大橋の圧勝でした。

 

姫路城

 氷雨の姫路城になってしまいましたが,初めて行った姫路城に圧倒されました。

「でかい!」

 物理的な大きさだけでなく,その勇姿が醸し出す存在感が違うのかもしれません。石垣だけでも国宝の価値はありそうです。

 

播州皿屋敷

 お菊の亡霊が井戸で夜な夜な「いちまーい,にまーい... 」と皿を数える怪談,そのお菊の井戸が姫路城内にありました。直径が5mほどもある大きな井戸でした。井戸は,籠城時の水源確保のためどの城でもたくさん掘られたようです。

 

3日間で1,200km

 行きも帰りも立ち寄った三木SA,兵庫県三木市にある山陽自動車道上にあるサービスエリアです。ここに,伊勢名物の赤福の幟がたくさん上がっていました。「こんなに離れたところで」と不思議に思いましたが,どうやらここが「赤福西限の地」で,これ以上西は新鮮な赤福を供給できない,ということのようです。

 

 ここからはノンストップ,帰宅時刻は18:30ごろかと踏んでいました。しかし,このあと飛島から名港トリトンでひどい渋滞に巻き込まれて,1時間遅れの19:30になってしまいました。思えば,ここまでまったく渋滞がなかったのが稀な幸運だったと考えるべきでしょうか。

 全走行距離1200.1kmでした。